カテゴリ:ヨーロッパ巡礼の旅 その1( 7 )

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その1)

フランス・オーヴェルニュへの旅 (新しい出発)

こんなにユーロが高くっちゃ、何処へも行けやしないわ。
1ユーロ160円よ〜! ランチを2000円以上も出さなきゃいけないなんて〜!と…。
声高に、しっかり遠くなってしまったヨーロッパを懐かしむ訳ではないけど、..。
やっと書けるようになった気がする。やっと今..。

この所、めっきり出られなくなってしまったが、以前は随分お金もないのに旅行した
もんだと感心する。

仕事がなかった時、落ち込んで行き詰まった時、建築の勉強に..と大義名分を掲げ
て、子供達を義父母に預けて、たまには、家族でと…様々な国に旅行した。
大義名分の性か、ただ単に我々の肌に合っていた性かは定かではないが、イタリア
とフランスには随分足を運んだ気がする。

「若い内に旅行せずして、年を取って何を語ろうか..。」という言葉があったが、
すでにその「語る」という領域に入ったという事なのであろうか?

今まで、私は、旅行をしたら、1週間以内にその旅の旅行記を書いてきた。
何故1週間以内かというと、..その期間内であったら、辛うじて覚えているからだ。
書いた後は、それはそれは見事な位消えてしまう。それは見事なもんである。
ところが、これから書こうとする旅行記はすぐその後書けなかった。
どうしても書けないのである。
今でもあんなに鮮明に覚えているというのに…。
私の価値観と生き方を180度変えてしまう程、強烈な旅だったからかもしれない。

2000年秋、一枚の写真を見た。広大な草原に大きな石がポツン、ポツンと点在する。
その石には苔がつき、その苔から儚げな草花が力強く咲いている。
ふと、大好きな宮崎駿の天空のラピュタの最後のシーンと重なった。
その写真の場所は、フランスの東にアルプス、西にピレネー山を望むオーヴェルニュ
地方のものだった。

無償に、ここのこの場所に身を置きたくなった。いわゆる大義名分とやらを一所懸命
考え、その場所の近くにあるという世界でも有名な3つ星レストランに行こうという事
で、相棒の了解を取った。

いつもの様に仲間に声をかけ、当初は友人夫婦と私達4名での旅行という流れ
だったのだが、友人夫婦が駄目になり、代わりにその当時のスタッフが参加すると
いう事になった。
が、しかしそのスタッフも我々の緻密な旅行スケジュールを見た途端、出発直前に
なってキャンセルしてしまい、結局私達夫婦だけの旅行となったのである。

さてさてどんな旅だったのだろう。

『2000年10月5日』
朝早く、広島から関西空港に出掛け、KLMでアムステルダムのトランジットを取り、
パリに夜遅く着いた。
フランスの田舎を訪れる前にせっかくのパリ、今まで行けなかったコルビュジェの
建築を見ておこうという事で、朝一番にST、LAZARE 駅からPOISSY駅まで行った。
サボワ邸までバスに乗った。
運転手にちゃんとサボワ邸を教えてね。と念を押したが、やはり心配で運転手の横
に立った。

目で合図した「まだ?」「ここ?」..。    
 「いやいやまだだよ。ちゃんと教えてあげるから..」
手に持った三脚が立っているお客さんの邪魔になっている。

「パードン、パードン」と謝りながら、バスを降り、丘の上にあるサボワ邸に到着した。

空は真っ青に澄み渡り、芝生と真っ青な空、そして真っ白の直線の建物のコントラス
トが美しい。
まだ朝早かったせいか、殆ど観光客はいないようである。
このサボワ邸はつい最近リニュアルしたばかりのようで、私の知っていた建築写真の
中にあるものより数段きれいに見える。

真っ白の壁、円柱のピロッティーと直線。 
余分な線が一本もないようなデザインである。
カーンカーンと足音だけが建物の中に響き渡る。広いリビングにはコルビジェの代表
作である椅子達がいかにもこの空間の主であるかのごとくに配置されている。

静寂な空間を楽しんだ。    ひとり建物から庭に出た。
まだ、太陽が低いせいか、建物にはっきりとした陰影を映し出している。
建物の横でいかにもフランス人らしい女性がひとりでタバコを吸っていた。
目と目が合い、挨拶した。   どうもここの管理人らしい。
「きれいになったでしょ。つい最近リニュアルしたのよ。まだ、朝早いからこんなに
空いているけど、昼間は観光客で一杯になるの..」
珍しく慣れないフランス語で話した。
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庭の入り口の方からどうも観光客らしき団体が見えてきた。
あっという間に、先程までの静寂な空気が、大勢の人の話声で騒がしく反響する
空間に様変わりしてしまった。

「ラッキーだったね」相棒と先程の女性の教えてもらった駅までの近道、郊外の
住宅街を歩いて降りて行った。
簡単な昼食を取り、次の目的地であるもうひとつのパリにあるコルビュジェの
代表作であり、現在コルビュジェ財団になっているラロッシュ・ジャンヌレ邸に向かった。

ここジャンヌレ邸はコルビジュのパトロンであったジャンヌレの別荘として建てられ
たものだ。

駅から先程の郊外とはうって代わり、界隈という名のような町中の坂を昇りやっと
目的地に到着した。
玄関口に入った途端、一台の車から太ったおばちゃんが出て来た。
書類カバンを片手に持って、「ふん!」と機嫌悪そうに足でドアを閉める。

「怖〜〜!!一体あの人何者?」
彼女が、どうも以前コルビュジェ研究家から聞いた事のあるあの気難しい事で
有名な○○さんらしい。
いかにも….。と納得。   すぐ解ってしまった。

先程のサボワ邸よりも数段大きい空間の壁に沢山のコルビュジェの絵画が展示
してある。天井と壁の間に作られた窓が室内にスリット状に光を流し込む。
日本の、いや今や世界でも有名なコンクリート打放しで得意な某建築家の得意
とする技も、このコルビュジェの見まねから来ているのだろう。
殆どの建築家に大きな影響を与えた人である事を、改めて確認させられた思い
がした。

日本でのふたりの間での緊張感もこの地に来たせいか、段々緩んできていていた。
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「ひげ剃りがない。何処に行ったか知ってる?」
トランクの何処を探しても見当たらないらしい。
「まあ、いいじゃあない。どうせ、私達ふたりだから…」
のび始めてきた相棒の無精髭を見て言った。
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by necowash | 2009-01-23 10:41 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その2)

2000年10月6日

朝早く、パリLYON 駅からTGVに乗って リヨンまで行った。
リヨンは食の街と言われる程の世界でも美味しいものの集まっている街で有名である。
フランスの3つ星の主だった所はこのリヨン周辺に点在しているらしい。
私達は早速メトロで旧市街に出掛けた。
朝早かったせいか、お腹が空いてきた。時計の針は12時15分前。
旧市街には小さなレストランが沢山並んでいる。
レストランの外では、コック帽子を被った料理人らしき人たちがタバコをくゆらせ、
コーヒーを飲んでいる。
感じの良いレストランを見つけ、中に入った。
テーブルは、やっと人が横向きになって通れるぐらいに目一杯に配置され、カトラ
リーと色とりどりの紙ナプキンがきれいに並べられている。
「食事はできますか?」と聞くと、中から迷惑そうな顔をしたギャルソンが、わざと
らしく時計を見て、「まだ、12時になっていないよ。12時になってからおいで」
無愛想に断られた。
「お客さんにその態度はないでしょ。ふん!」
日本では考えられない行為である。

あれ? そういえば、殆どの観光客が中には入らず外に掲げてあるムニュー(定食)
のメニューを見ながら物色して歩いているではないか?
どうも、ここリヨンでは昼食の時間がはっきり決まっているらしい。
(他の地方では、10分ぐらい前でも入れてくれる)

私達も周りの観光客にならって物色して歩いた。
12時が過ぎた途端、各レストランからは愛想の良い笑顔のギャルソンが客引き
を始めた。
先程の怪訝の悪そうなギャルソンも笑顔一杯で、愛想のいい事。まるで二重人格。
「もう、絶対あの店には入らないからね」と言ってはみたものの、結局、物色に出遅
れた我々は、身近のそんなにおしゃれでもない路地の近くの小さなレストランに
入っていった。

 手頃な値段だったので、全く期待していなかったのに、手作りのパンに肉のワイ
ン煮込み、デザートのポムドテール(リンゴのタルト)まで、とても美味しい。
「さ〜すがリヨン」と感激。最初は少なかった店内が今や満席である。
こちらの食事は長い。昼食に1時間以上かけ食事を楽しんでいる。
というか、なかなか次の料理がこないから、自然に長くなってしまうのだ。
お蔭で暇つぶしのパンのお替わりをする羽目になり、最後はお腹がパンパン。
リヨンのレストランってみんな美味しいのかもしれないと思う。

隣の方で、なにやら不思議な音が聞こえた。今まで聞いた事もないような低音の
音が響き渡る。
興味新進で私は、ひとり店の外に出て、その音の行方を辿った。
どうやら数件隣の方から聞こえてくるらしい。
どうも民族楽器の専門店の様である。間口は狭いけどかなり奥まで店は続いてい
るらしい。
奥の方は暗くなっていて見えない。
今まで見た事もないような民族楽器が沢山並んでいた。
でも、なんだか踏み入れてはいけない場所のような気がして、遠くから恐る恐る
覗いてみた。
店先では、アフリカの民族衣装をまとったようなフランス人がふたり、大きな筒をし
たような楽器を吹いていた。

後で、それはオーストラリアの先住民のものであるディジュリドューである事を知っ
たのだが。
その当時、日本では珍しかったこの楽器は、ここフランスではとても流行っていた
らしい。
その次の年、イタリアのある街の街角で、路上パフォーマンスで吹いている人を
見かけた。
でも、まさか、その数年後私自身がこの楽器を所有するなんて、その時は思って
もみなかった..。
私の始めてのディジュリドューとの出会いであった。

私達は、サンジャン広場の南から出ているケーブルカーでフルビエールの丘へ
昇った。
丘からは、リヨンの街が一望できた。
遠く霞んで見える景色を、ただただ、何も考えず暫く見つめていた。
ふと、隣にあるノートルダム聖堂を見た。バジリカ式教会であり、リヨンの街から
山の上にそびえ立つこの聖堂は、リヨンの象徴的な建築物である。
あまりに豪華絢爛な建物である。この手の建築はどうも私の肌に合わないらしい。
昨日まで出会った田舎の素朴な教会が懐かしくなった。
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足早に見学し、フルヴイエールの古代ローマ劇場まで降りて行った。
丘を降りた我々は、今話題のジャンヌーベル設計のオペラ座に向かった。
オペラ座の内部の見学はできないけど、今晩オペラがあり、当日券もあるという。
思いがけない朗報である。
「一番安い席でいいわ」
「でもこの席は字幕が見えないけど大丈夫なの?」
「字幕ってフランス語でしょ。どっちにしても解らないからいいわよ。」
笑いながら言うと、「確かにね〜!」と笑いながら答えてくれた。

旅行中、今回のように予定もせずにオペラに行ける事は本当に珍しい事である。
明日からの旅の為に予約していたレンタカーをゲットし、安いけど快適なホテル
で一段落した。
オペラに行くとは思っていなかったので、全く正装らしき服装は持って来てなか
った。
相棒はそれでも、唯一のジャケットを羽おり、私は万が一の為に用意してあった
ショールと3つ星レストラン用にと持ってきた洋服を着、目一杯のアクセサリーを
身につけ、オペラ座に向かった。

あまりにも簡素な入り口を入り、まっすぐ上にのびるエスカレーターを上がった。
まるで工事現場のような雰囲気で仕上げてある。
周りの壁は真っ黒である。足元に小さな光があるだけの闇の世界。
オペラ座というにはほど遠い仕上げである。
その簡素なエスカレーターをきちんと正装した観客が上がってゆく。
私達も一緒にその流れに加わった。
エスカレーターを上がり切り、大きなドアを開けた途端「あっ!」思わず目を疑った。
天井の高い空間には大きなシャンデリアが輝き、金のカーテンが…。
そこはまるで、中世の貴族の館にタイムスリップしたような空間なのである。
今までの暗い闇から一気に光の世界へ…。
闇があるからこそ、この光が引き立つ。憎い演出である。
陰影礼賛そのものの手法。
暫く呆然と佇んでいたが、私達は次に、その光輝くホワイエから観客席のドアを開
けた。
すると、今度は真っ赤な空間である。
一体、何処まで私達をびっくりさせるのだろう?
何処かで、私達の驚く様を見て「やった〜!」と笑っているに違いない。
そんな気がした。きっと、いろいろそんな事を想像しながら、楽しんで計画したに
違いないぞ。
どうも、まんまとやられたようだ。

オペラが始まった。そういえば、今日の演目を見てなかった事に気づいた。
簡素な舞台美術である。大きな古い本の枠だけが舞台に作られ、その中で出演者
が歌い、芝居している。
今でこそ、それなりに私達もオペラの題目等知ってはきたものの、当時は全くの初
心者。
有名所しか知らない我々は皆目検討がつかない。
ふと、これって「シンデレラ」..?相棒にそっと聞く。
「そんな事知らないよ。違うと思うよ。」
「だって、汚い格好して箒をもった女の子と意地悪そうな母親と贅沢な服装の
女の子達..これってどう見てもシンデレラでしょう」
そう、シンデレラだったのだ。それまでオペラでシンデレラがある事を知らなかった。
でも、これなら、台詞は解らなくても理解できる。

1部が終わり、休憩になった。みんなホワイエに集まる。
どうも、今日が初日のせいか、みんなきちんと正装している。まるで社交界のような
感じである。(社交界なんて知らないけど..)
初日には、様々な分野の招待客が来るというから、そういう部類の人たちなのかもし
れないと思う。

私は、まず、先にトイレを目指した。
早めに出た筈なのに、トイレの前には長い列が繋がっている。
いつも思う事だが、何処に行っても日本ではトイレに困る事はないが、外国でトイレ
を探すのは一苦労なのである。
トイレの近い私にとっては死活問題である。
ここでも案の定、これだけの集客量だというのにトイレの数は極めて少ない。
きっと、建築基準法の設備の枠が違うんだろうな。と、こちらの法規を知りたくなった。
「日本より休憩時間が倍以上も長いから安心できるけど、絶対に日本だったら大変な
事になるよ」とひとりブツブツ言って順番の来るのをひたすら待った。

やっとホワイエに戻ると、相棒は少し離れた窓際で私の来るのを待っていた。
遠くから見ると、しっかり生え揃ってきた髭が様になっている。
どうも周りを観察していたらしく「どうもアジア人は我々だけみたいだよ。
背筋をのばそうね」と言った。
どうりで、ちょっときどって立っていた訳だ。
私も周りを見渡し..思わず、誰も見ていないというのに、服装を整える。

が、しかし..直ぐさま、「あそこにシャンパンがあるから、買って来て」
いつもの事だが、私は彼の要望に従って買いに行く。
グラスに入ったシャンパンを持ってきて渡した。
「つまみもいる…」
「え〜??」また、クラッカーとチーズを買って戻ってくる。

ふと周りを見渡すと、殆ど、男性が買い、女性に手渡しているではないか。
ここが違うんだよな〜!本当に…。また、ひとりブツブツ言う。


窓越しには、目の前の建物の彫刻が幻想的にライトアップされている。
夢の世界のようである。日本では考えられない風景である。
この街も街全体が美術館なのだと改めて感じた。

日本では考えられない事だが、オペラの夜は長い。
終わったのは、終電ギリギリの時間だった。
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by necowash | 2009-01-23 10:40 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その3)

2000年10月8日

朝、あれだけ探しても見つからなかったひげ剃りが出て来た。
何故見つからなかったんだろう?
かなり、生え揃ってきた髭を見て、
「まあ、いいんじゃない。そのまま延ばしたら?」
本人もまんざらでもないようだ。

いよいよ車での出陣である。
リヨンの街は比較的解りやすい。
いつも車での移動の初日は緊張する。左ハンドルに右側通行。
川沿いには朝市が出ていた。食の都、リヨンの朝市である。
これは見逃す訳にはいかないよね。 車を道路脇に置き、探索した。
今まで見た事もないような食材が並ぶ。野菜も新鮮そのものである。
他の都市の朝市よりも厳選された食材という気がした。

そこで、生ハムとワインとチーズと果物を買い、車に持ち込んだ。
ミッシュランの地図を片手に高速の看板を目指す。

ヨーロッパの道は、ブルーとグリーンの色(確かそうだったよね?)が高速の印。
慣れてくると日本のようにゴチャゴチャした看板が無い分走りやすい気がする。
今でこそ、様々な情報はインターネット等で手軽に見られるが、その頃はあまり
情報がなかった。
ホテルも主だった所だけはファックスで予約をしていたものの、後はその場で
の調達である。

この旅行に出る前、南仏で旅行会社をやっている大学時代の友人にフランスの
田舎の情報を収集した。
彼女からコンクや、ラカマドール等の地名を聞いた所から、この度の旅行のプラ
ンをたてた。
この辺りの地域は、私達にとっては全く未知の地だったのである。

高速A47を通り、一般道であるN55に入った。
いきなり田園風景が広がる。ゆっくりと車を走らせる。

小さな村が点在し、30分も走ればまた別の村に着く。
手持ちの地図の中にはない小さな村。
昔ながらの生活を営んでいる人たち。
ここにはゲームセンターもカラオケもない。村唯一のカフェがあるくらいだ。

子供達も、行き交う人々の顔も生き生きとし、とても優しさに満ちていた。

お互い黙ったままで、田舎のドライブを堪能した。
堪能するというよりも、ただ何も考えられなかった。
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「どうして、私は今回、日本人として生まれたのだろう?」

「どうして、この地に生まれなかったのだろう?」

始めてとは思えない景色の中で…。ただ、ただ、それを思った。

優しい光の中で、暮らせる人たち..。
今の私とは、あまりにも違う環境の中で生活する人達。

一体幸せって何んだろう?   富?   名誉? 
そんなものには全く関係なさそうな生活をしている人達のなんと幸せそうな顔。

2時間ぐらいたった頃だろうか?   私達はル・ピュイに着いた。

早速、車を置いて、丘の上のノートルダム大聖堂に向かった。
沢山の人々が同じ丘を目指す。
そうだった、今日は日曜日。

大聖堂の中は、沢山のミサに集まった人たちで溢れていた。
丘の上から赤い屋根の町並みを見下ろす。
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丘から降りて車を少し走らせると、いきなり前方の山に、全く廻りの環境にそぐ
わない銅像が出現した。
1860年にクリミア戦争でロシアから奪った200門の大砲を潰して作ったと言
われるフランスの聖母像だという。
真っ赤な16mの像である。
ちょっとがっかりした後、また暫く走ると、街の外れに小さな岩山の上に建つ教
会のような建物がいきなり出現した。

「何?あれ〜?」慌ててガイドブックを見ると、礼拝堂だという。
そこに行くためにはその細長い階段を昇るしか、なさそうだ。
一体あの建物どうして建築したのだろう。
まさかその当時ヘリコプターがある訳でもないだろうに..と思う。
今思うと鳥取の三徳山も同じようなものなのかもしれない。
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先を急いでいた私達は、登りたい気持ちを押さえてそこを後にした。
今度、もし、もう一度行くチャンスがあったなら、そこは是非、訪れたい場所
のひとつである。

帰った後で、知った。どうもこの度の旅行はフランスから巡礼の最終
地であるスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼のコースの
一部であり、ここル・ピュイはその巡礼の出発地であった事を..。

その頃の私は、「巡礼? なに?それって..?」
全く何も興味もなく、意味も知らなかった。

でも、もしかしたら、私達の巡礼の旅が、この時、すでに、スタートしていたの
かもしれないと思う。

ル・ピュイを後にした私達は、その夜の宿泊先であり、この度の一番の目的地
であるラギヨールに向かった。

途中、小さな村々を通り、写真を撮り、また別の村へ。
この旅行をするきっかけになった一枚の写真。
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あれだけ大事に思ったその風景が、今、あちらこちらに広がる。

火山帯だった丘に牧草が広がり、境界線の意味だと思える石が蛇行して積ま
れてある様が広い牧草地のアクセントになっている。

今、目の前にみえる風景。
最初の感動が、いつの間にか当たり前になっていく感覚を覚えた。
ず〜と昔から、この場所にいるような、懐かしい感覚。
ここでは、音楽も言葉もいらない。
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ラギヨールの街に入った。
いきなりあちこちに小さな工房や土産物屋が立ち並ぶ。
ラギヨールはソムリエナイフで有名な地である。
蝉のマークのあるソムリエナイフ。

その町を通り過ぎて目的地である三ツ星レストラン、ミッシェルブラスに
向かった。
現在は、北海道の洞爺湖にも分店ができたが、当時は知る人ぞ知るレス
トランであった。
フレンチのシェフの友人から聞いていたので知ったのだが、そうでもなけ
れば私達には縁のない場所である。

こんな田舎に本当にあるの?と思えるような場所にそのレストランとホテル
はあった。
そこを訪れる人の殆どが、レストランに併設されたホテルに滞在するようだ。

今は丁度シーズンオフに入ったばかりだったらしく、私達は普段ではとても
高くて手の届かない、町が一望できる部屋を格安で予約できたのである。

無駄な線のないシャープな建物であり、真っ白で無機質なインテリアである。
ベッドカバーの上にウエルカムグッズであるオリジナルマークの印刷されて
いるリュックがあった。
ピクニックに行く時そのリュックにランチを入れていくものらしい。
憎い演出である。

友人のアドバイスにより、明日の朝の朝食をこの部屋で取る事にした。
広すぎる程のバスルームからも変わりゆく夕焼けが見える。
ゆったりとバスルームにつかった。

長い間、夕暮れを見た。
オレンジ色から紫色に変わり、そしてコバルトブルーに変わってゆく。
水平線上に色のグラディーションが重なる。
雲の隙間から眼下にシャワーのように降り注ぐ光..。
夕焼けの神秘を感じた。
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やっと、その夕焼けが闇に変わった頃、私達はドキドキしながら3つ星レストラン
でのディナーに向かった。
別棟の建物にあるウエイティングルーム。
暖炉の側に座り、順番を待った。

メニューリストを持ったソムリエが私達の側にやってきた。
まずは、料理の注文である。
ここでは、裏の菜園で採れる無農薬温野菜が有名だという。
肉(特に羊やウサギ)料理の苦手な私は、メインのお肉のジビエを変更してほしい
とお願いした。
「前菜になるマッシュルームのパイなら出来るよ」と言われ、わざわざサンプルを厨
房から持って来て見せてくれた。

相棒はスタンダードな牛肉のステーキである。
相棒の方は料理はそっちのけで、ワインリストに夢中である。
「さすがだね〜!こんなに沢山の種類のグラスワインがあるなんて〜!」嬉しそうで
ある。
4〜5種類のグラスワインを注文した。
ソムリエが不安そうな顔で、「こんなに飲めるの?」と聞いてきた。
「大丈夫、彼は酒飲みだから..。私は全く飲めないけどね。」笑って答えた。
まあ、所詮私の語学力では、これ位が限界である。

やっと、ディナー。レストランへの道には、小さな水路があり、その水路の上
の石の橋を渡り、私達は窓際の席に案内された。

思わず目を疑った。
我々の席には赤ワインがボトルのまま3本ドーンと置かれ、白ワインが1本
ワインクーラーの中に置いてある。

一瞬、真っ青になった。
「どうして〜こんなにあるの?」
私の頭の計算機がカウントし始めた。   一体幾らになるんだろう?

慌ててソムリエを呼んだ。
「このボトルはどういう事ですか?私は飲めないって言ったでしょう。彼ひとりで飲むの
にこんなに飲める筈ないでしょう」

「いえ、ちゃんとこちらのお客様が注文されました」メニューを差し出し、相棒を見て
答えた。
思わず相棒を見ると、僕知らないよ。と言わんばかりに首を振っている。
いつも冷静を装っている彼もさすがに慌てている。

どうも、半年後にユーロに変わるので、いち早く、フランの値段の横にユーロの値段
が書かれていたらしいのだ。
ユーロのマークに慣れていない相棒は、それがグラスワインの値段だと思い注文し
たらしい。
グラスワインはあちらに栓を抜いて置いてある数種類のものだけだと言う。

「ごめんなさい〜!」もうひた謝りである。
「白ワインだけ頂くので、後の赤ワインはキャンセルしてもらえますか?」
まだ、ラッキーにもコルクを開けてなかった3本の赤ワインを指差してお願いした。
ソムリエは、一度厨房に戻り、笑顔で帰ってきて、
「オッケー、大丈夫だよ」とワインクーラーにつけてあった白ワインまでテーブルから
下げ、新たにあちらにあるグラスワインを注文するように言ってくれた。

さあ、ここからが大変である。もう、恥ずかしいの なんのって…。
見渡してみると、アジア人は我々だけである。
きっと、厨房では、「あの馬鹿な日本人が…」なんて笑われているに違いない。
もう、しっかり被害妄想である。

照れくさいのも手伝って、我々は、ここの照明デザインはどうのこうの..。
お花の入れ方がどうのこうのと..この時とばかりに建築観点での意見を言い合った。

居心地の悪い思いで食事は始まった。

前菜から、フォアグラのソテー。この辺りはフォアグラの産地らしく、私の少ないフォ
アグラ経験での見解からみると、フレッシュで独特の油っぽさのない美味しいものだ
ったと思う。
まあ、ここまでが記憶にある料理である。後は、殆ど何も覚えていない。

あまり有り過ぎる量に圧倒され、どんどん食欲は無くなってゆく。
最後は苦痛そのものである。
途中、奥様らしきマダムが各テーブルに笑顔で挨拶に来られた。
とても家庭的な雰囲気である。このオーナーは大の日本ひいきらしく、あらゆる手法
が日本の料亭を思わせた。

このようなスタイルのフレンチをニューベルキュイジーヌ(新感覚のフランス料理)と
いうらしい。
昔ながらのフレンチはもっとゴテゴテしているらしいのだが。
とんでもない事である。

途中、私は何度もお手洗いと称して席を立った。
少しでもお腹をすかせようと階段を上がったり降りたりした。
2〜3時間あまりかけて、やっとコースが終わった。そして元の暖炉のあるラウンジへ
案内された。
ここで最後の仕上げのデザートとコーヒータイムらしい。
これでもか〜とばかりに、目の前のお膳にまるで3人分もありそうなケーキのセット
が表れた。   
会席膳のようなスタイルである。
もう見ただけで、全く、手をつけられなかった。

勿体ないなんて、次元ではない。
コーヒーだけいただいて早々にラウンジを後にした。

こうして私達の一日が終わったのである。

きっと、グルメではないだろう我々、もう二度と、3つ星レストランを訪れる事はない
だろう。  と思った。
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by necowash | 2009-01-23 10:39 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その4)

10月9日
翌朝、私達は始めて部屋で朝食を取った。
バスケット籠にアラジンの魔法瓶とパンと果物。
窓際のカフェテーブルにテーブルクロスを敷き、別々の魔法瓶に入ったコーヒーと
紅茶がバスケット籠に並べられている。
昨夜のディナーに比べると随分質素ではあったが、まだお腹が一杯な我々にとって
はこの位が丁度いい量である。
目一杯のスケジュールをたてての旅行。早々にチェックアウトした。

友人から頼まれたミッシェルブラスのオリジナルカトラリーを買い、包装してもらった。
ところがあまりにも重い為に、送ってもらうようにお願いすると、なんとナイフの刃渡り
が長くて国外に持ち出す事は無理だという。
トランクに詰めて持って帰る事はできるという。
これからの旅を思い、友人には悪いが断念した。
素晴らしいデザインのカトラリーである。値段もなかなかなもので、一本が1万円近
くする代物である。まあ、我々には縁のない話しだけどね。

記念にお世話になった方に1本、そのラギョールでも一番有名なLの印のあるソムリ
エナイフを買った。
我々はその町の外れに、いきなりモダンな建物を見つけた。
デザインを見ただけで、その建物はフィリップ・スタルクの設計である事がわかる。
その建物は、先程のLの印のマークのナイフを作っている会社のものだった。
その町を通り抜けた途端、目の前に今までとは打って変わった田舎の田園風景が見
えてきた。

古い石造りの牛小屋が 当時のままの姿で佇んでいる。車を脇に置いて、写真を撮った。
数年後、フランスの写真集に同じアングルで撮った写真を見つけた。
ここまで完璧な状態でのアングルはそうそうあるものではない。
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私達はコンクに向かった。ここは巡礼地ではとても有名な場所のようだ。
ただ、ここまで来るのはなかなか容易ではない。コンクの近くの並木の道で、カナダ
の旗を掲げた自転車での巡礼者に出くわせた。
明るい声で挨拶し合う。山道を上がりきった所に石造りの小さな集落があった。
どうもここがコンクのようだ。
その集落の中心にロマネスク様式のサント・フォア聖堂があり、ここのタンパンは有
名である。
天国と地獄を表しているという。
確かにひとめ見ただけでも描かれている描写でその差が解る。世界遺産のプレート
があった。
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のんびりとした時間が流れてゆく。山の頂上にある巡礼地。どのアングルを撮っても
絵になる風景である。
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コンクからフィジャックを経て、N140、ロカマドールの道を走る。
ロカマドールに着いたのはまだ明るい3時を廻った頃だった。
段々今までの山道から開けた道になり、風景も変わってきた。
大きな駐車場には観光地らしく沢山の車が止っていた。
今まで殆ど観光客には出くわさなかったせいか、それとも先を急いでいたからなのか
解らないが、崖の上に建つ町並みをちょっと覗いただけで足早に過ぎ去った。
日差しが強く、私達は少し疲れてきていた。
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後で、この地を資料で調べ、もっとゆっくり見ればよかったと思ったのだが…。
その時はどうでもいい気がしたのだ。

その後に来る出来事を 予期していたのかもしれない。
少しでも早く次の場所へ移動したかったのだ。

地図では1〜2時間で簡単に着くと思った道が、思ったより時間がかかってしまい、
私達がカオールの町に着いた頃はもうしっかり暗くなった頃だった。
この時間からの宿屋探しは大変である。
ひっそりとした町の中で、唯一賑やかそうな「オーベルジュ」サインを見つけた。
宿屋だよね。急いで中に入るとどうも様子が違う。
レストランだけだと言う。 
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諦めて車を走らせる。旧市街を出た所で、快適そうなビジネスホテルを見つけ、
先程のレストランで夕食をとった。
ここカオールは赤ワインの有名な所で、深い赤のとてもしっかりとした味わいのする
ワインで乾杯した。

この日は、次の大切な日の為に、距離を走る旅だったのだと後で思った。
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by necowash | 2009-01-23 10:36 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その5)

2000年10月10日

朝早く、荷物を抱えて、車の置いてある前の道路に出た。
一足先に出た相棒がオロオロした様子で帰ってきた。
「車がパンクしているよ〜!夜、誰かにいたずらされたかな?」

レンタカーの為、いつもと勝手が違う。
スペアタイヤを出して、スパナでタイヤを外し始めたが、なかなか動かない。

そんな時、4〜5名の団体らしき人達が玄関から出てきた。
年配の大きなおじさんが、「どうしたの?手伝ってあげるよ。」
と、大袈裟にジェステャー交えて、腕まくりをし、きっと得意だったのだろう、あっと
言う間にスペアタイヤに交換してくれた。

連れのおばさんを振り向くと、「彼はスーパーマンだから..」と笑って答えてくれた。
私達だったら、どれだけ時間がかかった事だろう。
何度も頭を下げてお礼を言った。
陽気なそのメンバーは、ワイワイガヤガヤ、笑いながら手を振って車に乗り込んで
去って行った。

レンタカーの旅でパンクをしたのは始めてである。
こんな事もあるんだと思った。

アルビの北西25km、なだらかな丘陵の尾根に沿って細長く密集する「天空の
城塞都市」・コルドの街。ガイドブックにもなかった城郭都市。
さりげなく、こんな素敵な場所がある。つくづくこの地方の奥の深さを感じてしまう。

この辺りの町は近くにあるにも関わらず町の色がそれぞれに違っている。
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石灰色の町、ピンク色の町、そして、いきなり今までとは打って変わった風景
赤レンガの町アルビに着いた。
基本的に、その土地から産出される土で作られているからだろうが、地層の
違いがこんなにもある事に驚かされる。
アルビは中世の町並みがそのまま残った美しい町で、ロートレックの故郷でもある。

旧市街を対岸から写真を撮りたかったらしく、相棒は川辺からファインダー越
しにアルビの街を眺めている。
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私は、川辺のベンチに腰をかけ、ボ〜と目を閉じていた。
すると、朝の光が頭の上から身体に入り込み優しい光で満たしてくれる、そん
な気がした。
半分、寝むっていたのかもしれない。
いきなり「そろそろ、もう行くよ!」相棒の声で正気に戻ったが、まだ身体が動
かない。
フラフラしたままで車に乗り込んだ。旧市街まで車を走らせ、赤レンガでできた
大聖堂の前に車を止めた。
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急にインスタントカメラが欲しくなり、聖堂前のお土産売り場に入った。
相棒は聖堂の周りを、いろいろな角度で写真を撮りながら歩いている。

私は、一足先に大聖堂の中に入った。
脇にある大きな重い木製のドアを開けると「バ〜ン♪」と大きなパイプオルガンの
音が聖堂内に響き渡った。

丁度、パイプオルガンの演奏会が始まったばかりのようだ。
この演奏を聞くために集まったのだろうか、すでに沢山の人たちが座っていた。
丁度目の前方上に大きなパイプオルガンが備えつけられ、演奏者の姿も見える。
私は、真ん中の空いている席に座った。
いつの間に来たのか、相棒も聖堂に入り、私の側に来て座った。

内部は、漆喰の壁一面に様々な宗教画が描かれている。
暫くキョロキョロと様子を伺っていたが、その内、目を閉じて、パイプオルガンの
音に耳を傾けていた。
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どの位の時間が経ったのだろうか、いきなり、
『ひろしま にいる。その事に意味がある 』
ポ〜ンと言葉ではない、何か解らないインスピレーションのようなものが聞こえた、
というより、感じた。

「え〜? 何?」辺りを見渡した。
何もない。一体今の感覚は何だったんだろう?
不思議な気がした。それと同時に、何か確信のようなものが沸き上がってきた。
「そうか〜?そうだったんだ〜!」

それまで、私は広島を意識した事がなかった。広島=平和なんて、殆ど自分とは
全く関係ない事だと思っていた。
様々な人たちが広島を訪れ、いろいろなイベントが行われるが、
「あ〜また何かやっているんだな?」そんな程度で接していた。
外国かぶれだった私は、日本人としての自分はいても、広島人としての自分を思
った事もなかった。
ただ、外国に出ると、「どこから来たの?」と聞かれ、
「日本よ」と答えると「じゃあ、日本の何処?」「広島」
「そうか〜?広島か〜?」いきなりトーンダウンした声が決まって返ってくる。
どんな所に行ってもみんなが広島を知っている事に驚かされていた。
でも、私の中に広島はなかった。

リヨン出発し、オーヴェルニュの田舎道を走っている間、ず〜と車の中で考えて
いた。
「どうして、今、自分は日本人として生まれたんだろう?」
「どうしてこんな場所に住めないんだろう?」
日本に帰りたくなかった。いつまでもこうしていたかった。

「そうか〜?そうだったんだ〜!」パイプオルガンの音を聞きながら、何だかわなら
ないまま、涙が溢れてきた。

演奏会が終わった。  1時間もここに座っていた事に気がついた。
溢れる涙を拭い、他の観客と一緒に外に出た。
一足先に出て行った相棒の姿が見えた。 
何気なく、出て来た場所を振り返った。すると、大きな白い垂幕が目に入った。
「今年はイエスキリスト生誕2000年です。彼はあなたが行く所を導いています」
そんな内容だった。

「え〜?何?」その言葉がまるで自分への事のように胸に響いていた。
あれだけ大きな垂幕、入る時、当然気がついていい筈なのに、全然気がつかな
かった。
相棒を呼んで訪ねた。「あんな垂幕あった?」
「え〜?知らない。気がつかなかったな〜?」
先程買ったインスタントカメラでその垂幕を撮った。
日本に帰ってプリントアウトしたが、写っていなかった。

私達は、アルビを後に、中世の城郭都市であるカルカッソンヌまで車を走らせた。

トウールーズに着いた。思ったより大きな街である。
3つの大学を中心とした巨大学生都市だという。そういえば、学生時代の友達がこ
のトウールーズに留学していた事を思い出した。
その頃の私は、トウールーズという名も知らず、何て田舎の大学に行ったんだろうと
思ったもんだが..。
こんな街での学生生活はさぞかし楽しいんだろうな?と羨ましく思えた。

アルビで思ったより時間をとってしまった我々は、足早にトウールーズを過ぎ去り高速
に乗り、カルカッソンヌに着いた。
高速から巨大な城壁が見えた。まるで、ディズニー映画に出てくる代表的なお城みたい。
メルヘンの世界ような美しい城である。
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私達は、この城壁の外に宿を取る事にした。
このホテルからは、お城へのライトアップがきれいに見えるという。
1泊、1部屋6500円。でも、最上階だと500円安いらしい。
ちなみに、この宿屋にはエレベーターはない。私達は顔を見合わせ当然のように、
500円安い最上階に決め、狭い螺旋階段を重いトランクを抱えて最上階まで運んだ。
前日、あれだけ高級ホテルに泊まったというのに、今日は500円の為にこうして
汗だくだくで運んでいる。
何だか自分達のしている事が滑稽に思えた。
「やっぱり、私達には、こんな宿が身分相応だよね。」
荷物を置いて、城郭の中を探索に出掛けた。夕方だというのに、まだ明るい。
今晩の食事の場所を探しながら、歩き回った。

さすがに疲れた私は、ひとりカフェに残った。
段々薄暗くなったというのに、相棒はなかなか帰ってこないようだ。
迷子になるのも嫌なので、ここに腰を落ち着ける事にした。

瞑想なんてした事も、そんな言葉も当時は知らなかったが、目を閉じ、先程のア
ルビでの事を思っていた。
そして、訳の解らない事を言っていた。
「先程の事は何だったのですか? 私へのメッセージですか?
 私は馬鹿だから解りません。
でも、もし、本当にそうだったら、私に証拠を見せてください」

私は宗教心も何もなく、勿論、キリスト教でもないし、神様の存在も信じてはいな
かった。
でも、どうしても先程の事は自分の中でも半信半疑だったのだ。
納得がいかなかったのだ。
「きっと、これって思い違いよね。そんな馬鹿な事ないよね」

やっと相棒が帰ってきた頃、いつの間にか辺りは暗くなり、街路灯の明かりが見えて
いた。
先程見つけた、この辺りの郷土料理のお店で夕食をする事にした。
この辺りは豆料理で有名なのだが、元々豆があまり好きではない私の口には残念な
がらもう一度食べたいと思えるものではなかった。

さすがに長かった一日に疲れた我々は、早々にシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。
「ねえ、10時からライトアップよ。その為にこの宿を取ったんでしょ。
どうするの?」
「う〜ん?もういい。寝る」
「あっそう〜!おやすみ」
そんな感じでふたりは横になったものの、いきなり目が覚めた。

時計を見ると9時30分である。少し休み、ちょっとだけ元気になったふたりは、ライ
トアップが気になってきた。
でも、10時まで起きて待てるとも思えない。
「まさか、まだライトアップされてないよね。見て来て!」
「嫌だよ。行っておいで..」「じゃあ、じゃんけん!」
まあ、いつもの事だが、お互いしたくない事は、じゃんけんで決着をつける。
相棒が負け、しぶしぶベランダまで出て行った。
ちなみに我々の泊まっていた部屋は屋根裏部屋だった為、屋根の上に洗濯物干場
として活用しているのだろうベランダまで行かなくてはいけなかった。

「すぐ来てごらん。早く!今電気がついたよ。」興奮した声で相棒が帰ってきた。
慌ててカメラと三脚を探している。
一緒に眠気眼でベランダに行くと、ちょうど目前の城壁はきれいにライトアップされ
ていた。
その城壁の真上にきれいな満月が見えるではないか。
曇っているのに、そこの満月の所だけが雲がない。
そして、その満月の周りには虹のように月倫がかかっていた。
まるで、この世のものとは思えない景色だった。
暫くボ〜と、ただただ、見ていた。

すると、ほろ酔い気分になった宿屋の主人がベランダに上がってきた。
「へ〜?今日はライトアップが早いね〜? 何てきれいなんだ。ミステリアスだ。
こんな景色見た事ないよ。君たちはラッキーだね〜!」
そういって又階段を降りて言った。
ふたりはため息をつきながら、その景色を見ていた。すると視界の右側から
視界一杯の左下まで、ビューンと大きな光が流れて行った。
見た事もないような長い流れ星。周りには雲がかかって星ひとつないというのに…。

あまりの出来事にふたりは口をあんぐり開けたままの状態。
「さっき、私、お願いしたんだけど…これってそれかな..?」
訳の解らない言葉を口走っていた。
「うん。 そうかもしれない…。」ボ〜としたまま相棒は答えた。
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思い出したように我に返った相棒は、
「今の写真に撮れているかな?シャッター切ったままだったから…。」
三脚の上で開きっぱなしだったカメラを指差した。
( でも、写真にはその光は撮れていなかった)

「そうだ。あの橋の所からは、もっときれいに見える筈だよ。行こう!」
慌てて片付け、急いで着替えして、外に出た。
ふと空を見ると、先程まできれいに見えた満月がいつの間にか雲の中に隠れて見え
なくなってしまっていた。
15分間の私達へのプレゼント..。そんな気がした。

2000年10月10日(満月)だった。 


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by necowash | 2009-01-23 10:36 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その6)

10月11日

今回の旅行は、今までのどの旅行よりもまるで違ったものである事を ふたりとも、
何となく感じていた。
あまりにも偶然の多すぎる事に…。
そして、ふたりの中にあった固いしこりのようなものがいつの間にか、溶けてきて
いる事に気づいた。

我々は、思い出のカルカッソンヌを後にし、スペインとの国境ペルピヌナンに向か
った。
駅の近くの当初予定していたレンタカーの窓口に行き、このままスペインのバル
セロナまで行って返すとどの位費用がかかるか聞いた。

カウンターの前に座った愛想の悪い女性は、とても嫌な顔をし、いろいろな所に
電話をし始めた。一体どの位たったのだろう、我々はしっかり待たされた後、この
ままスペインまで乗り入れると約3万円ぐらいアップすると伝えた。

想像以上の値段に、我々は結局汽車で行く事にした。
汽車の時間までは、約2時間あまりある。
レンタカーの返却は夕方までに返せばいい。

我々は、車で30分もあれば行けそうな、港町コリオールに行く事にした。
シーズンオフの為か、殆ど人影はなく、お店も閑散としていた。
確かに、美しい港町のひとつなのかもしれないが、今まで美しい風景をしっかり
堪能してしまった我々にとっては、活気のないこの町は味気ないものだった。
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汽車での国境越えは久しぶりである。
暫くすると、フランスとスペインの国境の町ポルトボーに汽車は着いた。
昔、25年近くも前になるだろうか? この町を通った時は、みんな降ろされて税関を
通ったものだが、今回は汽車内でのチェックのみである。
(今はそれもないのだろう)ただ、レールの巾が違う為、車両編成の為か、約40分
ぐらい待たされた。
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汽車の窓から、ぼんやり地中海を眺める。いかにも地中海らしく銀色に光ったオリー
ブの木があちらこちらに見える。空気も景色も建物のデザインも数時間前とはまるで
様子が違う。いかにもリゾート地のような装いである。

普通列車で5時間弱、夕方6時頃やっと、バルセロナに着いた。
大都会に来たんだな〜と、妙な気持ちになった。
駅の周辺の建物にはいかにもスペインらしい落書きが目立つ。
その落書きや煩雑さがいかにもスペインを感じさせる。
さすがに、固い座席のせいか、腰が痛くなっている。

駅に着き、駅近くの安宿を見つけた。荷物を置いて、久しぶりのバルセロナの街を
探索した。
1985年の頃、1ヶ月ちょっとユーレルパスを買っていわゆるバックパッカー的旅行
をした事がある。
その時以来である。当時はこの街角には怪しげな娼婦達が立ち並び、危険な臭い
のする街だった。
私達は、その時、目の前でその娼婦たちの仕事ぶりを目撃した事があった。
まず、おもむろに通行人の男性にタバコの火をせがむ、そして、その間に別の手は○○○….。男性はふっと身を固くして、ふたりはそのまま後ろのホテルに…。
まあ、見事なものだった。
私達はその当時の出来事をネタに、笑いながら歩いた。

今や、その当時の面影はまるで感じられない程、町並みはきれいに整備され、安全
な街になっていた。
どんどん街がどこにでもある街に変わってきている気がした。私達は商店街の中にあ
る、カタルーニア音楽堂を訪ねた。
このカタルーニア音楽堂はガウディーと同じ時代に活躍したモンタネールの代表作で
1907年に建設されたものであり、世界遺産にも認定されているらしい。

沢山の人たちがこの音楽堂を目指して歩いて行く。
今日、何かあるのかな? チケット売り場で聞いてみると、7時からコンサートが始まる
という。15分後である。
慌てて当日券を買い、中に入った。
1Fの売店で慌ててサンドイッチをほおばり、2階の席まで上がっていった。
内装はカラフルなタイルに囲まれ、メインホールのステンドグラスは圧巻である。
過剰すぎる程ごてごてしたインテリアなのに、いつの間にか馴染んでしまから不思議
である。

辺りを見渡すと、リヨンでのオペラとは打って変わり、殆どの人たちが軽装である。
殆どが観光客なのだろか?
自分達の姿を思い、ホッとした。
一体、今日の出し物が何であるかも解らないまま私達は座った。
いきなり、馴染みのある曲が流れてくる。ショパンのピアノコンチェルトから始まり、
有名所のコンチェルトばかりの演奏会らしい。
途中休憩の時、いつもの様にトイレに駆け込んだ。

並んでいる先に、ふと日本人らしき婦人と目が合いお互い微笑んだ。
ひとりできちんと並んで待っておられる。  とても品のいい、素敵な方である。
身長は150cmちょっとであろうか、背筋をピンとはって堂々としておられる。
少し白髪がかった髪がとてもきれいだ。

思わず、私も習って姿勢を正した。外国で素敵な日本人に会うと嬉しくなる。
日本人(アジア人)はその方々と私達だけであった。
2部が始まった頃、近くの席がざわめいてきた。ふと見ると、老人男性が倒れている
ではないか..。暫くして、周りの人たちが慌ててその老人を抱えて出て行った。
どうもその場で亡くなられたようだ。

舞台の方では、チェロの演奏者がひとりチャイコフスキーのコンチェルトを何も無かっ
たかのように演奏していた。
周りの観客もまた、元の静けさに戻り、それぞれに演奏を聞き始めていた。
私も、始めは事の成り行きに、びっくりはしたものの、「待てよ。もしかしたら、この老人
はここに来るまで全く元気に来られたのよね。
もしかして大往生って、こういう事を言うんじゃあないのかしら?だって、好きな音楽を
聞きながらあの世に行けるんでしょ。
まあ、確かに廻りの家族は大変だけどね」そんな事を思っていた。

いつの間にか最後の演奏になっていたようだ。
いきなり静かな音が鳴り響いてきた。重く、それでいて、心にじーんと響き渡る旋律。
そう、「鳥の歌」である。相棒と私は、お互い顔を合わせて微笑んだ。
カタルーニア地方の民謡であり、パブロ・カザルスがスペイン内乱の時ホワイトハウス
で弾いた曲、カザルスが最も大切にしていた曲であった。
http://pippo-jp.com/peace/memo.html
そして、我々ふたりにとっても大切な歌だった。
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「今回、本当にいろんな事があったね。これだけいろいろあったら、最後に飛行機が落
ちたりしてね。」

その時、この言葉がまさか、本当になろうとは思ってもみなかったのだが…。
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by necowash | 2009-01-23 10:34 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(最終編)

10月12日

バルセロナ プラット空港からアムステルダムまで飛んだ。乗り換えの後、関西空港
まで飛び立って暫くするといきなりアナウンスが流れた。
「只今、エンジンのトラブルが発生しました。緊急でアムステルダムまで戻ります」
結局2時間ちょっと、コックピットで修理をし、再度飛び立った。

「あなたが、あんな事言うからよ..。本当に落ちる所だったじゃあないの」
訳の解らない文句を言った。

結局1時間半遅れで関西空港に着いた。普段なら、帰りの列車の切符で指定席を
とる事はしない筈なのに、JTBの間違いで、指定席切符を持っていた。
大阪駅まで着き、さすがに、40分も遅れているから自由席に座ろうと時刻表と見ると、
何と、我々の持っている指定席ののぞみが今から来るという。

半信半疑でホームで待っていると、目の前にそののぞみが到着した。
なんと、東京駅で、停電の為、40分遅れての出発だったという。
「乗れちゃったよ〜」
その車両に乗っているのは我々だけだった。
きつねにつままれたような状態で家に着いた。

何だか浦島太郎状態で、広島に着いた。
ヨーロッパに比べ空気がむっとしている。
どうも、私達の留守の間、友人の間ではいろいろあったらしく、私達の帰りを待って
仲間達が集まってきた。
みんなの心配をよそに、「まあ、そんな事もあるさ」とのんびりムード。

荷物を置いて、長い間留守にしていたネコウオッシュの様子を見に行った。
お店の中には、始めて見る白髪のきれいなおばあちゃんがいらした。
暫く、ありたきりの挨拶をすると、いきなり、「あなたは、何処からお帰りですか?」と…。
何故、この方は、私が旅行から帰ったばかりだという事を知っておられるのかしら?と
不思議な気がした。
臭いでもある??なんて、クンクン臭ってみたり..。

「フランスから帰ってきたばかりなんです」と言うと、
「私はね〜。フランスでどうしても行きたかった所があるのよ。」
まあ、どうせ、パリか何処かだろうな?そう思った。

すると、「それは、オーヴェルニュなの…」
え〜?耳を疑った。私でも最近知ったあの田舎の地名..。
「え〜?私はそのオーヴェルニュから帰ったばかりなんですよ。」
と答えると、いきなり、そのおばあちゃんは、私に抱きつかれた。
今思うとこれが、ハグ?

その当時、いきなり知らない人からハグされた事のない私は、躊躇してしまった。

そして、泣きながら…「やはり...あなたとは前世でお会いしていましたね」と..。
「へ?」前世なんて、その時は信じてもいなかったし、訳が解らなかったけど、
何だか、本当のような気がしてきた。
(その方は先日亡くなられた。  6月26日のブログに書いた)

相棒はといえば、日本を出発する前と帰国した時では、しっかり髭も昔からあったか
のように様になり、全く風貌も変わってしまい、周りの人たちを驚かせた。

その時から、私の「ひろしま」が始まった気がする。

そして、先日、8月1日。それから関わってきた星野村の原爆の残り火が広島に分火
された。
そして、また、8.6が来る。
                                                         〜〜〜 おしまい。〜〜〜

こんな長い文章を最後までつき合ってくださった皆様に心より感謝申し上げます。。
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by necowash | 2009-01-23 10:33 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1