北陸の旅(その3)

『2009年4月13日』

昨夜、料理屋さんに飾られていた一枚の写真。
透き通った朝の光りの中、土佐湾の向こうに見える黒部、立山連峰を写真に
撮る事を思い描き、朝日の出る頃、窓越しに外を眺めた。
「駄目だ〜こりゃ〜!」再度ベッドに入る。
今時期は春霞で殆ど連峰は見えないとの事。あの写真は真冬の凛とした
空気の中だからこその景色のようである。

富山で泊まったホテルは、駐車場無料で、素泊まりにて何と一人1泊3150円。
立派なタイル張りのホテル。となりには天然温泉のスパまであり、湯質もすべすべで、
この値段で本当にいいのかしら?と申し訳なくなってしまう程の値段であった。
『じゃらん』って凄い!

隣のコンビニでサンドイッチと珈琲を調達し、私たちは朝早く白川郷に
向かった。

国道156号線を岐阜に向かって走った。
昨夜、富山で教えてもらった温泉がとても気になっていた。
「大牧温泉って言ってね。よくドラマでも出てくる温泉で、その温泉に行くには舟でない
といけない、ダムに取り残されたような温泉があるんですよ〜」
「あ〜〜ゴールデンタイムの『みちのく一人旅、○○殺人事件』そんな感じなのね〜」
見た事もないくせに勝手にイメージだけが先行する。
大牧温泉

「絶対、行きたい〜!」と叫んだが、費用を調べ、安旅行専門の我々は、早々に断念した。

せめて外観だけでも、とトンネルの手前のスペースに車を止め、道路から川を覗き込んだ。
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丁度、車を止めて休んでおられたおじさんに聞いた。
すると、何とこのトンネルの途中に脇道がありそこからその温泉が見えれるという。

そのおじさんがわざわざ先導して走ってくださった。
トンネルのど真ん中に小さな通路があり、反対車線まで回り込み、その通路を入って行った。

混んでいる時間帯では考えられない行為である。(決してマネをしないでね!)
その道はこのトンネルが出来る前からの道だという。
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その道もない昔、そのおじさんが子供の頃は、この大牧温泉までは、舟で行き、
その後は、細い人がようやく歩ける程の小道を辿り、その上流の集落に住んでおられる親戚
を訪ねて行かれたという。
その集落は平家の隠れ落人が住む場所。

懐かしそうに当時の様子を語ってくださった。が、しかし、その1/3は
残念ながら、昔ながらの方言で理解できなかったのだ。
ほんの瞬間、タイムスリップさせてもらった思いがした。

「あなたは、旅の人だね〜こんな地元の人も見向きもしない所に興味を持って
来られるなんて...」ふと小さく呟かれた。
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しっかりお礼を言い、当時のままの姿で残っているという合掌造りの五箇山に向かった。
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山の中腹にあるこの五箇山、相倉は、世界遺産にも関わらず、その村の人たちの日々の営み
を大切に守っているそんな集落であった。
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腰の曲がったおばあさんが、手押し車を押しながら歩いておられる所を、前の人たちが話しかけられている。
「こんな素晴らしい所に住まれて幸せですね〜」すると、
「な〜にが幸せなもんですかい。冬は寒いし、生活は厳しいし...」

このおばあさんにとっては、私たち観光客自体が、どうでもいい存在なのかも
しれない。
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世界遺産になったばかりに、今までのような素朴な生活から一転し、人々の目に
常に曝される生活へと変わってしまっている。
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先程の家の前でゴミを捨てておられるおばあさんの姿が絵になるな〜と、遠くからカメラを向けた我が身を
振り返り、そう思った。
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私たちは、次の合掌造りの集落のある菅沼に向かった。
この場所は、他からの移築され後から作られた集落、そんな感じの場所であった。
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上から眺め、我々は次に向かった。それだけ、その前の相倉集落が印象深かった
のである。

途中、数件の重要文化財になっている立派な合掌造りの家の前で思わず
車を止めた。
その家の廊下に2名の着物姿の女性を見た。
「ねえ、あれって..」思わず指差すと、相棒は、「人形だよ!」

その集落は数軒のみの合掌造りの家にも関わらずとても立派な造りをした
建物であった。
早速、入口で見学料金を支払うと、
「今、丁度、前の団体の方が特別に費用を払って、この辺りの郷土舞いを見学
されてるんですが、後ろの方にそっと居てくださったら、ご覧頂いてもいいですよ」

あれ〜?先程の着物姿の人形だと思っていた方々が踊っておられる。
「オーレノサンサノデレデコデン〜♪♫」何だか聞いた事のあるようなリズム。
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この踊りは古代民謡の『コキリコ』というらしい。
竹を小さく切った楽器を使い、万葉の頃から伝わってきたという。
私たちは囲炉裏を囲み、この家のご主人から沢山のお話しを伺った。

元々この五箇山は、加賀藩に対する年貢を薬草で支払っていた。
その薬草は、火薬の原料となる。つまりこの地域一帯が火薬製造の工場であったらしい。
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そしてこの川向こうの集落は、政治犯を流刑した場所でもあったという。
その人たちは昔から住む村人に医学を教えたり、学問を教えたりされて
いたという。

川向こうに住む村へは橋を掛ける事は許されず、何か用がある時は、ロープによって
荷物をくくって渡していた。それほど、隔離されて暮らしていたのだろう。

この重要文化財となっている村上家にも、その流刑された人の独房があったという。

つまり、加賀藩では政治犯の人たちの管理はそこに住む村人達に任せていた。

前日の妙立寺にもあった自然に大きく曲がった木が建物のあちらこちらに
使ってある。厳しい冬の自然環境の中で長い歳月耐えて育ったその木が、こうして
家の材料として使用される事で、自らこの厳しい環境の下、その家を支える役目を
負っているのだ。

まっすぐではなく、曲線により、その構造の力の分散をする為
より強固になっている。そんな事を意識していたのだろう、
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車で走る間も、その曲がって育っている道路脇の木々を、目で追っていた。

その家の裏手に、現存している最古の合掌造りの神社があった。
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「この調子で行くと一体この先どの位時間がかかるんだろうね〜」
そうして、午後になり、やっと我々は白川郷に辿り着いたのである。
始めてこの地を訪れたのは何年前になるのだろう?
その頃も沢山の観光バスと、しっかり観光化された集落という思いで
帰ったのだが、その時以上に観光地として賑わっていた。

裏手には大きな駐車場が完備され、そこに住む人々も観光地としての
住まい方に変わっていた。
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世界遺産となる事は、この場を大切に思い、住む人々にとって果たして
本当にいい事なのだろうか?どの立場での思いなのだろう?
最近、世界遺産になった場所に住む人たちの言葉を改めて思い出した。
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私たちは以前来た時はまだ通じていなかった高速には乗らず、
そのまま156号線を下った。御母衣湖御母衣ダム
石垣のダムに驚き、
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その前にある近未来的な建物に入る事にした。
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この場所は、関西電力の建物で、このダムの歴史を伝えていた。

この水没したダムにあり、移植されたという2本の古い巨桜を思った。
荘川桜:『古きものは、古きがゆえに、尊いのである』

その後、私たちは名古屋に住む古い友人を訪ね、自宅に帰ったのは、
深夜の2:30過ぎであった。

日は変わり、高速はすでに土日料金1000円ではなく、半額料金である。
名古屋から広島までの約6000円の何と、高く感じた事であろうか〜?

〜〜終わり〜〜
(あ〜これでやっと、次の旅の記事が書けます。お付き合いくださってありがとうございます)
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# by necowash | 2009-05-07 22:14 | 北陸の旅

北陸の旅(その2)金沢、富山


朝、珍しく早く目が覚めた。昨夜、北陸メンバーの方に聞いた。
「金沢で一番美味しいものって何ですか?」
「森八 ってお菓子がいいですよ〜」

という事で朝一番に起き、駅のお土産物屋さんに繰り出した。
ぐるっ〜と回って、森八だと思って買ったが、パッケージには
違う名前が...。慌てて平謝りし返品。そして、やっと、念願の森八の
詰め合わせをゲット。しっかり刷り込みされていたせいか、他の物に
くらべて、格式がある気がした。

朝食の後、我々は兼六園に向かった。前日、ホテルの人にしっかり脅かされた
性もあり、早々にホテルを出発。
思ったより簡単に我々は21世紀美術館の横のパーキングに入れられた。
全面アールのガラスでできた美術館である。
内部と外部が庭の芝生と一体になり、透明感を感じる建物である。

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始めての兼六園この時期には珍しく、桜は満開。先週急に寒くなった性で開花が延びたの
かもしれない。とてもとても庭園というには広大な敷地である。
松の素晴らしさに感動である。
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に、してもどんどん何処から湧いてくるのやら、凄い人人ひと...である。
人に酔ってしまい、非難するように庭園内にあった時雨亭に入った。
外の賑わいから一転し、静寂な空間の中に..。
お茶を頂き、縁側でゆったりと庭を望む。一見すると静かな佇まいなのだが、
細部に渡るまでの素晴らしい造作である。これだけの技術がここ金沢には
ある事に驚く。やはり、日本建築の建物は、立って見る視線よりも、
座って始めてその良さが分かる。庭園にしても同じくである。
縁側に腰かけ、ぼんやりと庭を見る、その景色が一番であるとつくづく
思った。
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ゆったりと目を閉じていると、先程痛くなっていた頭が軽くなった。
やっと元気になり、外に出た。
兼六園を後に、我々は歩いて香林坊を通り、長町エリアに向かった。
家の回りには水路が張り巡らされている。兼六園、城のお堀から城下町へと
この街には水路が広がっている。
その水路の水を庭の池に引いた素晴らしい武家屋敷に入った。
狭い敷地の中でここまで奥行きと広がりを感じさせる技につくづく日本庭園の
奥深さを感じた。
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歩き疲れた我々は、目の前に「金沢ふらっとバス」が到着。
1回100円でルートhttp://www4.city.kanazawa.lg.jp/11310/taisaku/fratbus/all-route.jspを回ってくれる。我々は、街の観光を兼ねて、バスに乗り込んだ。
ふらっとバス
ゆったりと街を小型バスが走る。ちょっとした街の探索である。
ほぼ、一周した頃、
にし茶屋前で降り、茶屋を歩いた。その隣の寺町の中に、妙立寺、通称忍者寺妙立寺
発見。
本来予約を取らないといけかなったらしいのだが、たまたま空きがあり、
寺のツアーに入れてもらう事ができた。
表からは2階建てなのだが、実際は、4階建て、7層にも渡るという。
一度入ったら、迷子になってしまいそう簡単には出れないとの事。
最初、そんな馬鹿な〜と思っていたものの、その複雑さとそのアイディアに
感服してしまった。入口の床と同面の賽銭箱の仕掛け、階段下からの敵に向けての
攻撃、お殿様の安全の為の隠れ部屋から切腹場まで、当時の時代背景の中で
いかにお寺の役割が大きかったか改めて見せられた気がした。
このお寺は、寺であって、寺ではないのである。
「このお寺に入る事により、追われる立場が、一転して追う立場になるのです」
その言葉が印象的であった。
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結局、朝の9時から、探索に出掛け、パーキングに帰ったのは、昼の3時過ぎになってしまった。
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しっかり伝統工芸の街、文化の街を堪能した我々は、相棒の友人の住む富山に
向かった。
富山に入ると、頂上に雪を被った立山連峰が目の前に広がる。
先程までの金沢の賑わいに比べ、とてもゆったりとした道路。
我々は、とてもリーズナブルなホテル(あまりにリーズナブルすぎて、申し訳
無い程の施設であった)にチェックインし、相棒の40年ぶりの友人に会いに
行った。
サラリーマンに人気であるという地元の料理屋さんでとても珍しいお魚料理を
頂き、お魚には好き嫌いの激しい相棒が美味しそうに食べている。
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普段食べれないものを頂き、大満足の私..♪
今度、いつ会えるか分からない昔の友人との再会。素晴らしいひと時であった。

次回は、白川郷に...つづく♪
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# by necowash | 2009-04-19 11:34 | 北陸の旅

北陸の旅(その1)白山、金沢

『4月11日 土曜日』
夜珍しく9時前に就眠。娘が最終一本前に帰った頃、我々は起き上がり、
深夜1時に自宅を出発した。

「どこまで行っても1000円高速割引制度ができて、始めての遠距離走行
である。

この度の旅行は、我が事務所がお世話しているインテリアプランナー
協会の全国大会が北陸、金沢で開催され、その出席の為であった。

始めての金沢である。我々は、この時とばかりに北陸周遊観光を企てていた。

当初、舞鶴自動車道を通って行く予定だったが、急遽深夜での走行の為、
不本意ながらも関西首都圏を経由しそのまま北陸自動車道を通る事になった。

やはりこのルートが速いようである。どちらにしても、舞鶴自動車道も完全に
繋がっていないので、1000円で行く訳にはいかないのだ。

我々は、琵琶湖の側の多賀SAにて朝方さすがに眠くなってしまい、30分あまり
仮眠したものの、朝の8時には、最初の目的地である曹洞宗の大本山である永平寺
無事到着した。
きれいに掃除された長い階段状の廊下を巡り、厳かな朝の空気の元、
朝のお務めが終わったらしき沢山の修行僧の方々の列を遠くで見ながら、
お寺の空気を堪能した。

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その後、白山の神様へのご挨拶よね。とばかりに、裏白山神社という平泉寺白山神社に向かった。
永平寺の駐車場の横にカタクリの花の群生を発見。
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入口で出会った猫ちゃんを写真に撮っていると、近所の(多分神主さん?)方らしき方と目が合った。
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「何処から来られたの?」
「広島です」
「広島ですか〜?私の友人が広島の福山にいたんだよね〜。結局一度も
いかない内に亡くなってしまって.....実は、明日、この神社の清掃会があって、
沢山の人が掃除に来てくれるんだけど、明日以降だったら、きれいになって
いたのにね〜」と残念そう。
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苔の参道を上がり、御手洗池を通って、本堂を参拝した。
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参道の小石が時代を感じさせる。
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その後、我々は、157号線を下って金沢まで向かう事にした。
急に、雪化粧をした山々が近くに見えてくる。
まるで初夏のような気候にも関わらず、道路の脇には、残り雪が..。
こんな時期に雪景色を見れる事に感動である。

すると、相棒が、..「もしかして、ネズミ捕りかも?」
どうも、過ぎ去って行った車がパッシングしてくれたみたいなのだ。
前の車も急にスピードを落している。
数分走った場所で、両サイドでネズミ捕りをしているではないか。。
もし、パッシングしてもらえなかったら、いい餌食になっているに
違いない。冷や汗ものである。
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お礼に、次次に通り過ぎる車にパッシング。
以前、外国でパッシングしてもらった事を思い出した。
このやり方って、世界共通なのだろうか?

今の時期には、白山スーパー林道はまだ閉鎖されている。

白山の横をドライブし、やっと山から降りた頃、空に色とりどりのハングライダー
を見つけた。
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その場所に向かった訳ではないのだが、たまたま我々は、通り道にある白山比咩神
立ち寄ってみると、そのハングライダーは白山神社の目の前の山から飛び立ったよう
だった。
この神社が白山神社白山比め神社と一般に呼ばれている場所である。
早々にお参りし、目的地である金沢市民芸芸術村に向かった。


その場所は、金沢市民芸芸術村
煉瓦づくりの工場跡のような建物が立ち並び、その建物を現代的にリニュアルされ、
様々な置く内施設と大広場として作られたもののようであった。
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古い桜の大木の下には沢山の花見客で賑わっている。
建物中の一部分では、小学生のブループがなにやら実際に工房で体験学習して
いる様が見えた。とても興味深い施設である。

少し腹ごしらえし、少し早めにJIPA全国大会の会場に向かった。
ここでの記念講演は、株式会社箔一(金箔)の代表取締役 浅野邦子氏の講演会
であった。昔ながらの原料としての箔から、実際身近なものへの商品化をする事で
一主婦から世界的にも金沢の箔商品と言われるまでに成長させられた今までの
ご苦労を淡々と語られた。

深夜からここまで駆けつけた我々が、何とか意識を保ち、無事講演会を聞けた事に
とりあえずは、安堵。
「よく、金沢は小京都のようですね!と言われるのですが、この言葉を金沢に住む
人たちは、好まないのですよ。京都は公家文化であり、ここ金沢は、武士文化なのですから..」
その一言が妙に印象に残った。

交流会までの間、我々はホテルにとりあえずチエックインする事にした。
その会場は駅の横にあるANAであるのだ。我々もこの駅に歩いていける
リーズナブルなホテルを予約してあった。

ホテルで一息ついて、駅に向かった。
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一体ここは何処なのだろう?バス停には、外国人の観光客が並び、その風景は、
一瞬、ヨーロッパのどこかの駅に来たような錯覚を覚えた。
アルミ合金製立体トラスと強化ガラスを組み合わせたドーム状の建物で構成され、
正面は鼓門(つづみもん)」と命名された大きな木造ゲートで作られており、さすが
工芸の街と
思わせるような素晴らしい建物であった。
全く予想していなかった建物にびっくりしてしまった。
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ANAの最上階での交流会。全国から沢山の人たちが集まっている。
こうして年に一二度参加してくると、仲間意識が芽生えてくるから不思議である。
みんな素晴らしい人たちの集まりである。 前向きで、とても楽しい人たちである。
アットホームな中、美味しい食事とおもてなしにあっという間に時間がたってしまった。

2年後には、全国大会が広島で開催されるという。
さてさて、どんな風におもてなししたらいいのだろう? ちょっとワクワクしてきた。

*次回につづく..♪
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# by necowash | 2009-04-16 10:55 | 北陸の旅

断食道場体験 広島『太光寺』

実は、私め、先週末、生まれて始めての断食道場体験をさせていただきました。
その道場での様子を私の独断と偏見にてご報告させて頂きます。

この度の断食道場へのいきさつは、友人から頂いたフラメンコの一枚のチケット
から始まったのである。
お寺でフラメンコが開催されるという事に惹かれた私は、友人と共にこちらの
お寺に伺った。
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こんな近くに、270度広島市内が一望できる絶景の場所にある事に
まずは、驚いた。

元々行者山城跡があった場所であり、行者さんが、ここで修行
されていた場所だという。
が、しかし、今や、北側にはバイパスが通り、尾根が寸断され、独立した小山の
ようになっている。
その山を国泰寺さんが切り開き、立派な建物が出来ていたのだが、
その場所に、数年前に墓苑と天台宗のお寺『慈学院、太光寺』太光寺
ができた。

まず本堂にご挨拶をと上がってみると、コンクリートで作られた、
何とも、今までの私の概念とはまるで違った新しい雰囲気の本堂であった。
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お参りして、隣の会場に向かっていると、数名のお坊さん達が、
2階の廊下を回遊しながら、来場者に向って手を合わせお辞儀を
されている様子が目に入った。目と目が合い、何だか嬉しくなって
しまう。久しぶりに本物の(?)お坊さんに出会ったような気がする。
そんな清々しい気持ちになったのである。


今まで、教会や神社にはご縁はあったものの、私自身
お寺には殆どご縁らしきご縁はなかった。
(といっても、我が家は、しっかり浄土真宗で、お墓参りも、葬式も仏教で..)
友人から、ダイエット目的での(主催者側の意図は違うのだが..)
断食に誘われ、最初は気軽にオッケーしたはいいのだが、どんどん
テンションが下がってくる。
朝早く起きるんでしょ!正座するんでしょ!長いお経でしょ!..等等
段々気が重くなってくる。

相棒に、問いかける。「ねえ〜天気が良かったら何処かへドライブ行く?
」ところが、天気予報はしっかり雨。
週末は、一日事務所にいるという。まあ、家にいるぐらいなら、行くか〜〜。
スケジュール表を見ると、2日目の昼間は午後4時間ぐらいはフリータイムに
なっているではないか。じゃあ、その間は家に帰る事にしましょ。
(何しろ、我が家から車で15分の場所)
そんな気軽な(?)思いで参加する事になった。
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『第一日目(金)』
PM8:00 私は、少し遅れて参加。
『無村塾』という異業種交流会に参加するのだという。
約20名あまりの始めての方々の中、目の前にお菓子の箱がパッケージ
されて並ぶ、でも、断食メンバーは食べられない。

この日のテーマは『本音と建前』
なんとも、難しいというか、面白くなさそうというか、どんな内容になるの
だろうと、ドキドキしながら見ていると、それぞれの方々の意見がとても
興味深い。
結局、我々は生きている中で、建前はいるものらしい。というのが、殆どの
人の意見であった。

その中で、ひとり20歳の純粋な若者の一言に心が洗われる気がした。
「建前っているんですか?」


我々の宿泊の場所は和氣殿という、1階がイベントスペースになっており、
2階が宿泊施設となっているものである。

2階の中心には約4部屋があり、その中心に、お風呂場(循環型風呂)や洗面、便所、
キッチンがあり、四方は回廊のようになり、外部が見渡せるようになっている。
南面には、ミーティングできるスペースや数台の机が配置されている。
この机は、登校拒否の子供達や、研修、合宿等の為に利用できるように用意されて
いるという。

この度の断食道場の受講者は6名、女性は我々2名のみである。
15〜6畳でもあったであろうか、広い部屋に、2セットの布団が用意されていた。
早速、きれいに洗濯されたシーツをセットし、男性の後に、お風呂に入った。
お寺というよりも、どこかの温泉宿にでも来た気分である。
明日の朝は5時半起床だというのに、興奮しているせいか、なかなか眠れなかった。

『第2日目 土』
朝、遠くからポクポクと木魚の音が聞こえてきた。段々近づいてくる。
夢の中から現実のものへ...。どうも朝の起床の合図のようである。
携帯のアラームが突然鳴り始めた。一体、私は、何時間寝れたのだろう?
もうろうとしている身体を起こし、急いで支度をし、本堂に向かった。

生憎の雨である。4月だというのに、まるで真冬のような寒さ。
いきなり身が引き締まる。

3名のお坊さんと住職での勤行が始まった。私たちにはこの為に前もって
朝と夕方用の教典が手渡されていた。
この順番に沿って、お経が始まる。教典のひらがなを追いながら、一緒に
声を出す。

その後、本堂作務という本堂の拭き掃除が始まった。
みんな並んでぞうきん掛けである。
一体ぞうきん掛けって何十年振りなのだろう?小学校以来だろうか?

華麗に走る(?)男性陣の後で、いざ、ぞうきん掛け!「いざ出陣!」
...あれ???
前に進まない〜〜!!
数歩前に行ったと思うと、コテッ?? なんで〜〜??

結局、我々女性陣のみ、膝小僧ついてのノタノタぞうきん掛けとなってしまった。

情けないかな、この作業って肩も、足腰もしっかり鍛えてないとできないものらしい。
痛くなった膝小僧を抱えながら、「次回は、絶対膝のサポーター持ってこよう!」
(上手になろうと思わなかった所がいかにも私らしいのだが...)

今の子供達って、ぞうきん掛けってするの?ふとそう思った。

その後、食堂に移動し、朝食である。(小食)と書いている。断食の時の食事は...?
ああ〜〜缶入り野菜ジュースね。。この食べ物に感謝の祈りをしながら頂くのである。
このジュースがやけに美味しく感じる。

その後は、「写経」タイム。私にとっては、2度目の体験である。
1度目は、京都の苔寺であった。
苔寺の庭を見るためには、写経をしないと見学できなかったからである。
その時は、早く庭を見たい一心で、急いで書いた。もちろん、ひどい有様。
とても人様に見せれる字では無かった。その反省から、今回は丁寧に一字一字
書いてみよう。
義母が昔、何年もかけて般若心経を書で描き、掛け軸に仕上げた時の事を思った。

が、しかし、普段PCに依存している私にとっては、筆ペンでの作業は、全くの異次元
である。
後で、この写経が、永久にこのお寺に保存される事を知り、またしても絶句!
(あ〜〜、これって末代まで残るのね〜見ないで〜!)

さて、道場には必須の座禅(止観)である。座禅というと、広い本堂で、
正座して、バシッ!を想像していたのだが、どうも勝手が違うようである。

本堂の脇の建物の奥の座禅専用の部屋に我々は入った。ひとりひとり順番に真っ正面
の不動明王にご挨拶をし、両サイドに用意された場所に座る。
楽な姿勢でいい。
真っ暗な中、バシッ!は無く、約30分間半眼瞑想する。
が、しかし、、途中から殆ど意識無し。
だって、蝋燭の光りだけで、真っ暗なんだもの〜〜!どうも、その状態は、私だけでは
なかったようだ。お互い慰める。
まあ、それも良しという事で...。

クライマックスの護摩供に向かった。
護摩をされる場所は、墓苑の北側にある、壁天ガラス張りのまるで温室のような
場所である。
その中心に儀式の為の台座が用意されている。
ガラス越しの外には、雨の中に佇む不動明王。

さぞかし冬寒く、夏暑い事だろうと、しっかり持ってきた洋服を着込んで参加した。
今まで数回、この護摩炊きを見た事があるが、殆ど遠くでされている様子を見る
場面が多かった。

こんな風に、目の前で一部始終見れる事はなかなか出来る事ではないだろう。
台上に座られ、護摩が始まる。護摩
先程、ひとり5枚の札に願いを書き、手渡したお札が一枚一枚確認しながら、
火の中に積み重ねられる。
凄い〜!どうも、決められたものがあるようである。
「作法」という言葉が浮かんでくる。 無駄のない、きれいで、豪快、そして、
火の心とその作法が一体となっている気がした。

護摩で炊かれた火は、透明で、その炎を見ていると不思議と癒される。
人の根源において、火は共にあるものなのかもしれないと思う。


ゲストがいるいないに関わらず、こちらのお寺では、毎日欠かさず、護摩供を
されているのだという。

午後からの自由時間、友人は陶芸教室に向い、私は自宅に一旦帰った。
昼寝をする予定が、いざ、ベッドに入っても目が冴えてしまい、そのまま時間だけが
経ってしまった。寒い雨の為の衣服をしっかり抱え、夕方の勤行、座禅、座談会を終え、
2日目が終わった。が、しかし、その夜。眠れない!どうもお腹が空きすぎているから
らしい。
どうしよ〜〜厨房まで行って紅茶をがぶ飲みして、布団に入った。

3日目の朝、7:30〜我々はお寺から6km離れた平和公園まで歩いて向かう事になって
いた。
朝には、昨夜までの雨も上がり、一気に温度も上がっていた。
実は、前日から私なりに悶々と考えていた事があった。
この朝の歩行の際、いつもの日課であるゴミ拾いをしたものかどうか、考えあぐねて
いたのである。

昨夜の座談会の時の住職の話しの中に出て来た、「誰の目を気にする事ではなく、自分が
思うようにすればいい、」その言葉で踏ん切りがついた。
私は、何処を見ていたのだろう。私は、私なのである。

火箸を抱え、軍手を持っている姿を見て、ひとりのお坊さんが「何するの?
ゴミ拾い? ふ〜ん」ただ、その一言。そして、みんな、それぞれが、自分のペースで
歩くだけなのである。何とも凄い方々である。悶々と考えていた自分が何と小さい事でしょ。 
一緒に話しながら、ゴミを拾ってくださる方、ちゃんとお祈りの時間に間に合うように
急がれる方、ゆったりとしたペースで、身体を労りながら、歩かれる方。それぞれである。
いつの間にか、メンバーの方々とも、沢山のお話しは無くても思いは同じ、そんな気が
してきていた。

私にしては、始めての道路のゴミ拾いの遠征である。
いつものコースから離れてみると、その町町で、ゴミの在り方が違う事に気がついた。
そこに住む人々の思いや、営みがここに出てきている、そんな気がした。

思ったより手間取い、それでもギリギリ8:15分、供養塔の前でのお祈りに間に合った。
鐘の音を合図に、我々は、一緒にお祈りし、また、帰路へと歩いた。
往復12Kmの道のり、お寺の階段の息を切りながら、やっと辿り着いた。
そして、待ちに待った朝食(何と、話題にあった、ゴーヤジュースの登場)を終え、
その後の護摩供、しっかり足が痙攣...。。。。

それにしても、毎日、この日課を続けておられるお坊さん達。あ〜〜今世、修行僧で
なくて良かったな〜。軟弱な私は、つくづくそう思う。
じゃあ、何が今の私にできるのか???  う〜ん??さてさて...。

毎年、8.6には、こちらでは前夜の8時から、あの被爆の瞬間の8.15までの12時間の間
ず〜と護摩法要をされているという。
もし、その時の時間を止める事ができるなら..。そんな祈りの時間なのかもしれない。


今までの慰霊の祈りから、未来への希望、夢をこの広島から発信できる祈りへ、
そんな輪が繋がっていける。そんな気がした。

沢山の出会いに、感謝。
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PS.
断食道場を無事卒業して、数時間後、ハイテンションになった私は、相棒と友だち
をさそって、花見に同じ場所に繰り出した。
で、....結局、2日間の断食した結果、2Kg減したのだが.....しかし...(トホホ)
断食の後は、くれぐれも、お気をつけくださいませ♪
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# by necowash | 2009-04-08 15:15 | 断食道場体験『太光寺』

ヨーロッパ巡礼の旅 part1(その1)

フランス・オーヴェルニュへの旅 (新しい出発)

こんなにユーロが高くっちゃ、何処へも行けやしないわ。
1ユーロ160円よ〜! ランチを2000円以上も出さなきゃいけないなんて〜!と…。
声高に、しっかり遠くなってしまったヨーロッパを懐かしむ訳ではないけど、..。
やっと書けるようになった気がする。やっと今..。

この所、めっきり出られなくなってしまったが、以前は随分お金もないのに旅行した
もんだと感心する。

仕事がなかった時、落ち込んで行き詰まった時、建築の勉強に..と大義名分を掲げ
て、子供達を義父母に預けて、たまには、家族でと…様々な国に旅行した。
大義名分の性か、ただ単に我々の肌に合っていた性かは定かではないが、イタリア
とフランスには随分足を運んだ気がする。

「若い内に旅行せずして、年を取って何を語ろうか..。」という言葉があったが、
すでにその「語る」という領域に入ったという事なのであろうか?

今まで、私は、旅行をしたら、1週間以内にその旅の旅行記を書いてきた。
何故1週間以内かというと、..その期間内であったら、辛うじて覚えているからだ。
書いた後は、それはそれは見事な位消えてしまう。それは見事なもんである。
ところが、これから書こうとする旅行記はすぐその後書けなかった。
どうしても書けないのである。
今でもあんなに鮮明に覚えているというのに…。
私の価値観と生き方を180度変えてしまう程、強烈な旅だったからかもしれない。

2000年秋、一枚の写真を見た。広大な草原に大きな石がポツン、ポツンと点在する。
その石には苔がつき、その苔から儚げな草花が力強く咲いている。
ふと、大好きな宮崎駿の天空のラピュタの最後のシーンと重なった。
その写真の場所は、フランスの東にアルプス、西にピレネー山を望むオーヴェルニュ
地方のものだった。

無償に、ここのこの場所に身を置きたくなった。いわゆる大義名分とやらを一所懸命
考え、その場所の近くにあるという世界でも有名な3つ星レストランに行こうという事
で、相棒の了解を取った。

いつもの様に仲間に声をかけ、当初は友人夫婦と私達4名での旅行という流れ
だったのだが、友人夫婦が駄目になり、代わりにその当時のスタッフが参加すると
いう事になった。
が、しかしそのスタッフも我々の緻密な旅行スケジュールを見た途端、出発直前に
なってキャンセルしてしまい、結局私達夫婦だけの旅行となったのである。

さてさてどんな旅だったのだろう。

『2000年10月5日』
朝早く、広島から関西空港に出掛け、KLMでアムステルダムのトランジットを取り、
パリに夜遅く着いた。
フランスの田舎を訪れる前にせっかくのパリ、今まで行けなかったコルビュジェの
建築を見ておこうという事で、朝一番にST、LAZARE 駅からPOISSY駅まで行った。
サボワ邸までバスに乗った。
運転手にちゃんとサボワ邸を教えてね。と念を押したが、やはり心配で運転手の横
に立った。

目で合図した「まだ?」「ここ?」..。    
 「いやいやまだだよ。ちゃんと教えてあげるから..」
手に持った三脚が立っているお客さんの邪魔になっている。

「パードン、パードン」と謝りながら、バスを降り、丘の上にあるサボワ邸に到着した。

空は真っ青に澄み渡り、芝生と真っ青な空、そして真っ白の直線の建物のコントラス
トが美しい。
まだ朝早かったせいか、殆ど観光客はいないようである。
このサボワ邸はつい最近リニュアルしたばかりのようで、私の知っていた建築写真の
中にあるものより数段きれいに見える。

真っ白の壁、円柱のピロッティーと直線。 
余分な線が一本もないようなデザインである。
カーンカーンと足音だけが建物の中に響き渡る。広いリビングにはコルビジェの代表
作である椅子達がいかにもこの空間の主であるかのごとくに配置されている。

静寂な空間を楽しんだ。    ひとり建物から庭に出た。
まだ、太陽が低いせいか、建物にはっきりとした陰影を映し出している。
建物の横でいかにもフランス人らしい女性がひとりでタバコを吸っていた。
目と目が合い、挨拶した。   どうもここの管理人らしい。
「きれいになったでしょ。つい最近リニュアルしたのよ。まだ、朝早いからこんなに
空いているけど、昼間は観光客で一杯になるの..」
珍しく慣れないフランス語で話した。
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庭の入り口の方からどうも観光客らしき団体が見えてきた。
あっという間に、先程までの静寂な空気が、大勢の人の話声で騒がしく反響する
空間に様変わりしてしまった。

「ラッキーだったね」相棒と先程の女性の教えてもらった駅までの近道、郊外の
住宅街を歩いて降りて行った。
簡単な昼食を取り、次の目的地であるもうひとつのパリにあるコルビュジェの
代表作であり、現在コルビュジェ財団になっているラロッシュ・ジャンヌレ邸に向かった。

ここジャンヌレ邸はコルビジュのパトロンであったジャンヌレの別荘として建てられ
たものだ。

駅から先程の郊外とはうって代わり、界隈という名のような町中の坂を昇りやっと
目的地に到着した。
玄関口に入った途端、一台の車から太ったおばちゃんが出て来た。
書類カバンを片手に持って、「ふん!」と機嫌悪そうに足でドアを閉める。

「怖〜〜!!一体あの人何者?」
彼女が、どうも以前コルビュジェ研究家から聞いた事のあるあの気難しい事で
有名な○○さんらしい。
いかにも….。と納得。   すぐ解ってしまった。

先程のサボワ邸よりも数段大きい空間の壁に沢山のコルビュジェの絵画が展示
してある。天井と壁の間に作られた窓が室内にスリット状に光を流し込む。
日本の、いや今や世界でも有名なコンクリート打放しで得意な某建築家の得意
とする技も、このコルビュジェの見まねから来ているのだろう。
殆どの建築家に大きな影響を与えた人である事を、改めて確認させられた思い
がした。

日本でのふたりの間での緊張感もこの地に来たせいか、段々緩んできていていた。
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「ひげ剃りがない。何処に行ったか知ってる?」
トランクの何処を探しても見当たらないらしい。
「まあ、いいじゃあない。どうせ、私達ふたりだから…」
のび始めてきた相棒の無精髭を見て言った。
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# by necowash | 2009-01-23 10:41 | ヨーロッパ巡礼の旅 その1